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Vinyasa Krama(ヴィンヤサ・クラーマ)の意味

・vinyasa(ヴィンヤサ)は2つの単語で構成されています。

vi=順序
nyasa =配置。

・krama(クラーマ)という言葉は「最初から最後まで途切れることのない一連の出来事」。

したがって、Vinyasa Krama(ヴィンヤサ・クラーマ)の用語全体の「最初から最後まで途切れることのない一連の出来事の順序付けられた配置」という意味になりますが、

・適切な方法で意識的にアクションを始める。

・適切な方法で意識的にアクションを持続する。

・適切な方法で意識的にアクションを完了する。

というサイクルを循環させることを指していました。

これらのサイクルを、ヨガの身体を使った練習のみならず、普段の生活においても循環させることで、意識的な進化が可能になるということを提案していたのが、Tirumalai Krishnamacharya (ティルマライ・クリシュナマチャリア)氏です。

そして、一人一人、心身や普段の生活、環境はそれぞれ違うので、このサイクルのなかでそれぞれがやることには違いが生まれます。

したがって、「人がヨガに合わせるのではなく、ヨガを人に合わせること。」というのが彼の教えの特徴で、練習を標準化し、体質も目標も異なる人たちが同じ練習をすることや、自分をヨガに合わせ効率的でない練習を続けることには決して頷かず、ひとりの個人に寄り添い、それぞれに合ったヨガを生涯に渡り指導し続けました。

サステナブルヨガ®︎のヨガの捉え方

サステナブルヨガ®︎では、ヨガとは本質的に規制したり、ルールによって堅苦しく解釈すべきものでなく、自由に至る道の一つと捉えています。

サステナブルヨガ®︎では、既に定義づけされ固定化しているように感じるものごとを、ただ鵜呑みにしたり、一つの視点からのみ観るのではなく、違う視点からも見てみる柔らかさを忘れずに、事実を客観的にみて、それについての肯定的な意見と否定的な意見の両方に客観的に耳を傾けつつ、自分の見解を導き出し、それを土台に、他者の意見も尊重し、どのようにしたらバランスをとって共に生きることができるかを考えて行動することが大切だと考えています。

なぜならば、特定の考えに凝り固まったり、ひとつのものを信じ込むことから、視野が狭まり、他者の話を受け入れることができなくなり、その結果、自分の意見を押し付けたり、他者の排除や争いが生まれるからです。

近代ヨガは、ヒンドゥー教の近代的再興、近代インドという国家のさまざまな社会・政治的欲求、欧米の宗教と身体を結びつける流れ、欧米の様々な身体文化などが密接に関わっていて、ヨガの解釈のされかた、社会の人々からのイメージは時代によって違ってきているという事実、インド発祥といわれる有名なヨガの流派の練習や哲学はインドにもともと全てがあったものではなく、欧米の文化を取り入れながら、自分たちのもともと持っていた文化と結びつけ、クリエイティブに新しい文化を作った可能性があり、「ヨガ=インド」と単的に紐付けられないことが既に研究で明らかにされています。

今ヨガを取り巻くなかで起きていること全てがヨガの要素だと思いますし、解釈は多様でいいと思います。そして、それぞれの捉え方によって、いかようにでも変化する柔らかさをもっているところがヨガの魅力のひとつだと考えます。したがって特定の既存の流派のみに特化したヨガのお伝えのしかたはしません。

わたしたちが暮らす国ではヨガの言葉の意味に関して 、「ヨガ=つなぐ」、「ヨガとは心の作用を止滅すること」 という端的な解釈をされることがとても多いです。確かにこれはヨガという単語に含まれる意味のひとつひとつではありますが、実際には多様な要素がこの言葉に内包されています。言葉の意味だけではなく、特にわたしたちがやっているような近代のヨガの練習は多様な要素が含まれていますし、それが出来上がってきている過程も複数の要素が絡み合っています。また、現在もヨガについての研究は続けられており、最新の研究結果が発表され続け、科学によって新たな発見も日々生まれきていて、それまで常識だったものが、実はそうではなかったということも多々あります。

時代とともに、新しい知識や情報の蓄積は続いていき、新しい気づきや経験、学びが終わることはありません。決して無闇に急ぐことはしませんが、サステナブルヨガ®︎では、古代からの叡智と、新しい学びから得たものを取り入れながら、クラス内容を変化させ続けていきます。このアプローチは、古くから伝わってきていることを大切にしつつも、良いと思ったものも取り入れて、新しいものを創造していくという点において、インドの伝統に根ざしているといえるのかもしれません。